母が亡くなった日。私は朝早い父の電話で母が返事しないとの知らせを聞いて妻子を連れてすぐ電車に飛び乗った。母は母はと呟きながら。
◆その頃の私は、会社内での派閥争いの中で自らのボスが失墜して、左遷させられたショックの中で過ごしていた最中に、突然父から電話が朝早く掛かってきた。
「母が返事をしない」、と。
「何回も呼んだの?」、と繰り返した。
「何度も、何を言っても、返事をしない」、と。
◆私はとても信じがたく、つい1か月前に帰京して妻子ともども会ったばかりであったので。
私の妻の病気の事や長男や長女の事をとても心配してくれていたのがついさっきの事のようだったので。
◆直ぐに兄弟に、父が母が返事をしないとの電話が来ているがどうなっているのかと言った。
しかし、弟にも繋がらなかった。
◆やむを得ず、再度生家の父に電話をした。
父はその日の朝の事をぶつぶつと説明し始めた。
「朝仕事に行っていた」、と。
◆私は、いつものように怒ってしまった。
「どうなっているのか」、と。
「母はもうしんどいのだから、仕事はもうしないでほしい」、とあれだけ言っていたのに。
◆やむを得ない。母のそばに行くしかない。
妻子に、直ぐに準備して、子供の学校、幼稚園にも欠席連絡して、と。
荷物をひっくるめて、京都駅に向かった。
◆妻が結婚して初めて、私に言った言葉、「あなた大丈夫?」。
私は、電車がどこを走っているのかもわからなくなっていた。
「今死んだらあかん」と繰り返し繰り返し呟いていた。
◆こんな親不孝のままで、死んでもらったら困ると。
矛盾しているのだが、今すぐには会いたくないような気持もあって、電車を降りてから、子供としばし遊んで逡巡した。
情けない男とは私の事だ。いつもアンビバレンツな心情にはまってしまって動きが取れなくしまう。
◆タクシーを飛ばして生家に着き、ついに横たわっている母のそばに着いた。
もう息はしてなかった。
手を何度も握った。あの母の手であった。優しく芯の強い母の手であった。
泣き叫んだ、「早過ぎる」と。
あまりに早すぎたのだ。
全てはまだ終わってもいないし始まってもいなかった。
このまま亡くなっては真から困る。
◆その日から、私の人生も家族も辛い日が今まで続くようになった。さらにこれからも。