母の命日。22回忌。京都 西本願寺に参拝。愛別離苦。悲壮淋漓。
22年前の、今日の朝早く。父から電話があった。
「母が返事をしない」。
母は、奥座敷に向かう廊下の寝室前で倒れていた。
直前まで、仕事をしていて、突然倒れたらしい。
誰も最後の言葉を交わしていない。
私も。
それで、
私は急いで、家族に身支度をするように言って、車で行ってもいいが、精神的な動揺が激しかったので、電車に飛び乗った。
結婚して、一度も心配を妻にかけたことがなかったが、私の極端に落ち込んだ様子に心配して、初めて不安になったらしく「大丈夫ですか」と。
まさか。
あまりに早い死であった。平均寿命であれば余裕で生きている。
ひたぶるに、ただただ悲しい。
【動画の内容】:
・母親の22回忌を本願寺で追悼する日について。母親は22年前に亡くなり、父親も7年前に亡くなった。
・母親が亡くなった際、私は非常にショックを受け、家族と共に葬儀に訪れた。母親は心臓病を患んでおり、手術後は制限があったが、小さな楽しみを見つけて過ごしていました。
・母親は一生懸命に働き、最後まで仕事をやめなかった勤勉な人であった。しかし、親孝行を私は全然できなかったことが残念である。
・私は母親の墓を訪れ、ブログを書いたり、遺族に追悼集を分け与えたりして、彼女を思い出しています。一部の人々はその行為に対して不快感を示した。
・最後に、私は人生の短さについて考え、静かに過ごすことを大切にし、母親が生きていたら提供してくれたであろうアドバイスの価値を消えたことを悔やんでいる。そして、母親の死に対する悲しみをこらえてる。
【動画文字起こし】
京都に住んでるんで、西本願寺にお参りに来た。9 月 18 日、母親の命日です。亡くなって 22 年経ちました。本願寺にお参りに,命日の時はずっと来ています。
あと、15年後に父親も亡くなったんで、母はもう 22 年まえ。特にこの母親が亡くなった、まだショックで自分の家族連れてあの寝とるところ、横たわってるところ行った時はさすがにちょっと、この年になっても取り乱してしまって、あの訳が分からんなって、みんなあの体調崩したり、色々そういう場所でね。もう 1 回、あの 1 週間後にね。自分の車で故郷に帰ってきたけどね。
病気がまあ心臓病だったから骨がものすごい!綺麗。真っ白ね。本当にかわいそうですね。そこにその心臓の手術した後は激しいことはできないんだけど、自分なりに小さい楽しみに見つけてね。そしてその小さな楽しみで、あの毎日過ごして。しかしやっぱ働き者だからね。ずっとそのあの生徒や職員寮のところ行って、あの先生をずっとすると、それは最後までやめなかった。亡くなる日までやめなかった。勤勉するというかね。
あ、やっぱものすごい。その真似できないようなところがすごい。全く親孝行できずになくなっちゃったからそれを残念ですけどね。ま今はもうそういうことに、お参りに来ることぐらいしか心の救いようがないね。
あと、ちょっとブログに書いたり、色々とその冊子にして作ってあげたりねえ。その辺のところだなっていうとお盆作って。それをあの 身内に配ったけどね。あ、身内にもいろんなでそれ配ったことに対してあまり気持ちよく思わなかった人にもいるけどね。
まその人ももう今はもう悪さもなくているみたいだけどな。ま人の命は短い。今この乗り越えて、今 2023 年の 9 月 18 日この世にいる人の命、 120 年経って誰もこの世にはいないよね。
ホモサピエンスの命は 120 年、生命が限界らしいからね。まあ 1 つも短いも宇宙が生まれてもう 40何億年だってるからさ。あのだからそれで言ったら本当に時間なんだな。
自分が最後の折り合いをつけながらも、自分の人生の周りとの礼をつけながらやれることやって、もう。そして毎日そうしてるけど。まできるだけ静かにしてますようにしてる。どうせ講演会とか行けば、あの大きな声で 1 日に喋らなあかんが何日も続くのか?
普段は静かにえ読書して、そして静かに本読んででちょっとだけ好きなお酒を飲んで。布団に入るっていう。毎日。それでいいかな?ま 20 年以上経ってああ面白い来てたらこんな風には絶対待ってないし。
いろんなとこで必要なアドバイスしてくれるはずだからね。それがまこの 22 年間なかったから。それをもらってたらもうちょっと。
ただ母がなくなったこと悲しい。それ以外何もないわ。