10年目の父の命日に、京都の西本願寺と光明寺にて父との思い出や私の心に去来することを、そのまま一人で呟けば。

西本願寺にて(2026/01/16)

今日は父の命日で、西本願寺に来ています。

亡くなって10年近く経つので、だんだん記憶も薄れているけども、私も亡くなる時にそばにいてあげられなかったんでね。私の兄弟も誰も行ってないで、本当に一人寂しく病室で亡くなってしまって。それはかなり悔やまれるね。しかも連絡がその日のうちにせなあかんのに来なかったから、どうも酒飲んでたみたいだけど。

どういうふうな因果応報があるのかわからんけども、信仰心とかそういうものがどういうふうにして作用するのかってことはなかなか分からないけども、因果応報でそれなりの報いを受けると私は思う。

それをなかなかみんなが理解してくれないから。

父は、母親が亡くなって15年間ほど一人で下梨の生家に住んでたんだけど、親父が亡くなった後は誰も住んでない。私も色々と家の事情もあって、京都の事情もあってなかなか帰れなくて。

もう目一杯頑張ってる、ほぼ休みなしで頑張ってるんだけど、なかなか家族の協力が厳しいな。いつまでも子供はちゃんとしてないしね。寂しい限りだ。

1日1回は死にたいっていうことを思うけど、1回だけじゃないな。夜中はずっとそういう気持ちに囚われてる、寝てる時はね。もう本当に苦しくて、やっと生きてるけども。

きょうは、親父の最期の日のことを追体験して一日過ごしたい気持ちを持ってね、そう思ってお寺さんに来てさっきお参りしたけど。父親に何回も呼びかけたけど、浄土にいらっしゃるのかどうか。私も100%の信仰心はないんで分からないね。

明日は近くの長岡京市の光明寺も、浄土宗で阿弥陀仏だから行こうかなと思っています。線香をあげれるんでね。線香を持参しないと忘れてしまうけど。

今日はあとバタバタと仕事して、仕事らしい仕事じゃないけどね。思うようにいかないことばかりで、何も上手くいかないな。信じられないね、こんな人生の展開になるっていうのは。

そういうことで戻りますけど。四条烏丸角の三井ビルで仕事。もう行きます。


光明寺にて(2026/01/17)

父の命日でですね、昨日は、京都の西本願寺にお参りしたんだけど、ここは地元の、私が今住んでいるところの近くにある光明寺という浄土宗のお寺です。法然上人ですね。同じ浄土宗なので、阿弥陀様なんでこちらにも来てお参りして。いつも年に何回かはここへお参りに来るんでね。

その下の方はお墓になってて、経堂のものもあるし、この辺は墓地もあるところです。山の方は非常に寂しいところで、鳥の声しか聞こえなくて。夕方も4時になったら寺の門を閉めてしまうんで、そういうようなところなんですけどね。

紅葉が非常に綺麗なんで、紅葉の時はなんか有料制になったりして私は来ませんけど、あとは春は桜が少し咲くかな。今日は京都のこの辺は大体5度から7度ぐらいの間で、ちょっと寒いですけども。

私の仕事のピークは2回、あるいは3回ぐらいこの20年ほどで、独立事業者になってから波があったんだけど、今ちょうどボトムの時で。4年ほど前かな、大きな山が来てすごい忙しくて。その山の時に仕事を丁寧にやってるんだけど、ちょっとやっぱり影響が出たかな、忙しすぎてね。一人でやってるからね。

で、ちょっといろんな契約が終わっちゃって、今はもう本当に私にコンプライアンスのこと頼みたいとか、あるいは相続のこと頼みたいとかいう、本当にそういう人だけが依頼してくるという感じになってて。あとは著作権もやっぱり好きでやってるから。

こないだ富士山の麓の実務指導機関へ行って、建設関係の専門の先生方対象に著作権の講座をやったけどね。評判良かったんでまたやりたいということらしいけど。あとは新潟の方の上場企業子会社のコンピュータサービス会社とか、あと北海道の十勝本別町とか。もうちょっと限られてきてるけどね。あまり手広くやらないから。

だからそれに近いような組織でのことをやっていくと。地方公共団体もそうだけど、あと公的な組織とか、学校関係かな。それとIT企業とか建設会社かな。建設会社はちょうど法改正があったとこなんで、今一番力入れなアカン(いけない)のだけど、なかなか力がね…あと他のこともやらなアカンし、相続の仕事もあったり。なかなか力が集中できない、それが悩みかな。

だからちょっと今ボトムに来てるから、非常にメランコリーな状態です、精神的には。そこに父親が亡くなった日が重なっちゃって、あんまり寝てないっていうか、朝方まで昨日ね。

父親も最後の日には多分心臓発作だったから、そんなに苦しんで長くあれじゃないけど、やっぱりちょっとその前後は苦しかったと思う。検査入院してたけど。

亡くなる2、3日前に父親が電話してきて、珍しく長話したから、多分あれは何となく予期があったのかもしれんなと思う。すごい長い話をした。それきりです。

本当にかわいそうだと思う。誰も周りにいなかったし、本当に一人で寂しく、かわいそうだったと思う。身内が誰も看取らずに、あれだけ中川の家を支えてきたのに、誰も中川家の人間が看取れずに亡くなったっていうのは本当にかわいそうだと思う。私にも責任はあります。

何か自分が懐かしい人とちょっと電話したり、NヨちゃんとかCHIキとか、メールとか電話でね。それもなんか知らんけど、父親が生きる力を与えてくれてるのかな。私の心のどっかに残ってるんだろうな。

そういうのは不思議な話で言えば、あの世から力を貸してくれたということになるんだろうけど、それは分からない。あるような気もするし、ないような気もする。

私の家族も従来通りやってるけど、なかなか厳しいものがあるな。まあそんな感じです、今のところ。

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