2021年8月19日 / 最終更新日 : 2021年8月19日 koshin 想い出 過去を遡る事は簡単だけど。甘美な思い出だけでいいのに、またあれか。 過去を遡る事は簡単だな。記憶さえあれば、記憶さえ消えなければ。でも記憶を、よみがえる記憶を人はコントロールできないものなのか。甘美な思い出にだけ浸ることはなかなかできない。直ぐに、記憶がつながって、辛い事、醜い事、後悔することがいつも出てくる。高校生の時の恋人にしたかった、或いは一時的に恋人だった二人の女の子のことはよく思い出す。 一人は
2021年7月5日 / 最終更新日 : 2021年7月5日 koshin 日記 郷里に8か月ぶりに墓参りに帰って慚愧の念に至った事等について【令和3年7月上旬】 慚愧の念はここに居ると本当に強くて運命か怠惰が原因か、絶望ばかりが続いてね。大学受験で失敗したのがもう全てのつまずきの下でそっからもう司法試験も失敗して、企業取締役でも途中でもリタイアして。資格試験はもう司法試験で草臥れたから超短波のやつ、行政書士しか取らなかったからね。
2021年5月15日 / 最終更新日 : 2022年8月16日 koshin 断想 私が生まれて初めて笑った時の記憶‥‥I laughed for the first time in my life 愛情の細やかな母であったので、私が生まれて初めて笑った時は、母はまだ22歳できっと同じように大声で笑ってくれたであろう。そして、良い子になるようにように繰り返し話しかけたであろう。
2021年3月13日 / 最終更新日 : 2021年3月13日 koshin 日記 今の私の幸不幸の淵源が郷里にあって‥‥2021年春3月に記す 今の私の幸不幸の淵源が郷里にあって、そこでの一つ一つの出来事が今の私の所在を家庭性や社会性も含めて決定的であることは間違いなかろう。ありありと過去の事実が甦ってくる。そこから運命の糸が今の私に伸びて繋がっていることは間違いなかろう。
2021年3月3日 / 最終更新日 : 2021年3月3日 koshin 断想 眠れない夜半過ぎに聴こえてくる祖父の父の声、私が会っていないその父の先祖の声、じっと耳を澄まして聴こえてくるまで。 漱石の言う「現実生活の圧迫」で、丑三つを過ぎても、まんじりともせず、一人床の中で暗闇を見詰めていた。 ああ、この様に人生が過ぎていくとは微塵も小さい頃には想像していなかった。 幸せは一様であるが、不幸は人様々である。 & […]
2021年1月22日 / 最終更新日 : 2021年1月22日 koshin 日記 著作権法と私 著作権法はやはり面白い。芸術が好きなこともある。著作権法学会に紹介で入ったが、そこでの議論もロムであるが、結構面白くて毎年神田の一橋講堂に行くのは楽しみだ。
2021年1月17日 / 最終更新日 : 2021年1月17日 koshin 日記 これまでの人生で一番悲しかったこと…のひとつ【2009-08-09】 私の人生で今でも繰り返し記憶が甦るこれまでの人生で一番悲しかったこと(悲しかったことはたくさんあるので、正確にはその一つかもしれない)は、18歳の夏に、生家に帰ろうとした時に、母に帰ってくるなと言われたことである。
2021年1月16日 / 最終更新日 : 2021年1月16日 koshin 随筆 父が亡くなってからの事 夢の中でも、父は現在性があるが、母のそれは薄いのは時間の刑が最も多い理由であるが、母とは本当に必要な話が出きていなかったのだ。喪失感が際立って母に感じるのはそれが原因であろうか。
2021年1月15日 / 最終更新日 : 2021年1月15日 koshin 想い出 郷里の山奥深い谷川へ友達のお兄さんに連れて行ってもらった時(8歳頃)のこと 社会に出ると、明らかに苦しいことの方が楽しいことよりも多いが、私の15までの郷里での生活、とりわけこの時のような幼少期は楽しいことの方が圧倒的に多かった。
2021年1月5日 / 最終更新日 : 2021年1月5日 koshin お知らせ アメーバブログからこのサイト(essay diary monolog koshin)へ日記は移します。 2009年、平成21年頃から、ネットで日記を書いてきた。理由は、母の死と退社だ。これが続いた。どうにも拠り所が無くなった強い空虚感だ。その心をを穴埋めするのにブログに書いた。かなり率直な日記で、友人からも身内からも反響があった。