essay diary monolog koshin

郷里にて

15歳までは、秘境と言われた山村で生まれ育ちました。

 
 
 

生家について

  • 生まれたときは、10人ほどの大家族でした。
  • 生まれた村の第2代村長がご先祖様で、祖父は事業経営をして、後に村長もしていました。
  • 父は村役場に勤めた後に、12年間、村議会議員をしていました。

生まれ育った五箇山について

  • 合掌作りで有名な秘境でした。山村としての活気がありました。
  • 冬の交通手段は、陸路が閉ざされるので、笹船と小型船でした。
  • 谷川や野山で跳ね回って遊びました。

郷里を出るまでの暮らしについて

  • 春祭りや秋祭りで、獅子舞をするのがとても楽しみでした。
  • お盆や正月に郷里から都会に出た親戚が来て遊ぶのが楽しみでした。
  • 中学3年生の卒業時は、首席でした。
 
 
 

その他にも、中学3年間バレーボールをやって、県下でナンバーワンになって全国大会に主将で出ました。

【高校3年間の下宿生活について】

  • 郷里から数十キロ離れた進学校に入学し、下宿生活を開始しました。
  • 高1は勉強に専念して、13番まで成績が上がりました。高2はまたバレーボールをして、全日本高校選抜選手になりました。国立の東京教育大学に推薦で行く予定でした。
  • 高3は人生に悩みぬいて、アスリートではなく、弁護士や裁判官になって社会のために尽くすことを目標にすることに方向転換して、高校卒業後は東京の原宿パレフランスで貴金属を売りながら大学受験勉強をしました。

‥‥挫折して心身ともに苦しみながら、何とか受験料を工面して3つの大学を受け、慶應義塾大学にも補欠合格しましたが、入学金等の学費の安い京都の大学に入りました。

 

 
 
 

京都にて

全く予期せず、今日まで異邦人として京都に暮らすことになりました。

 
 
 

学生時代とその後について

  • 京都御所の近くで下宿を開始しました。大学キャンパスまで京都御所を歩いて通学しました。
  • 末川博さんとそのお弟子さんの大学講義に深い感銘を受けました。
  • 生活のためのアルバイトが中心の学生生活でした。
  • 法律実務家のコースである法職過程に卒業後に進む予定でしたが、東京で勉強することになりました。

東京に出たことについて

  • 縁があって、東京の吉祥寺にある「中村法律事務所」研究室に入室しました。
  • 一橋大学の奥村裕二君と出会い、大いに啓発を受けるとともに、お互いの生家に行き来するほど仲良くなりました。
  • 井の頭公園、国立界隈などで余暇を過ごしました。
  • アルバイトしながら勉強して数年経過するも、択一試験合格が続いても最終合格をしなかったので、東京を去り、母校の法職過程に入りました。

京都に生活の本拠を定めてから

  • 大阪のベンチャー企業に勤め、ほどなく妻と出会い結婚しました。
  • 京都の西に家を買って、子供二人を育てました。
  • 法律関係の仕事を開業して始めました。講演や研修講師として、北海道から沖縄まで呼ばれるようになりました。
 
 
 

最も実績があるのは、コンプライアンス、相続、著作権ですが、この他にも様々な分野の活動をしています。詳細については事務所ホームページを参照してお問い合わせください。

 
 
 
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これからの私について

中川総合法務オフィスの仕事、相続おもいやり相談室の仕事、著作権ビジネス相談センターの仕事を三本柱にしてやっていき、社会をよくするための公職や社会運動をしていきます。

 
 
 
 
 
 

 

想い出
父との最後の酒‥‥老人ホームへの入居を長兄夫婦に決められて実家での酒の酌み交わし(涙涙の夜)
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古代メキシコ展・モネ展を令和6年2月に大阪公開で立て続けに鑑賞に家族で行く。
想い出
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宮崎県への本年5回目の旅:地方公共団体の職員研修講師を依頼されて
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想い出
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父の夢 【2018-04-22】
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母の日記  【2013-05-21】
日記
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去っていく日々、去っていく人。そして、父の命日が近づいて、心の浮かんでくる彼是。
想い出
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日記
母の命日、その日も母は働いていた。

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