京都堀川 西本願寺に父の命日にお参りして。

6年前の今頃は父が永眠しつつある時間だった。私は父の入院先から遠く離れた京都にいた。翌日は仕事で朝早かった。電車の乗り継ぎで何となく胸騒ぎがして病院に朝八過ぎに電話した。誰にも看取られずに発作で亡くなっていた。母のように包まれるような事無く。慙愧に堪えない。そうでないものは罪深い。

 

・それほど先ではない、私が父や母のいるところに行く日も。その時に私が持っていけるものは何があるであろうか。おそらく本願寺にあった言葉「和顔愛語」しか唯一なかろう。父や母のように身近なものから周りにいる人ひっくるめて優しさや愛情のインクルージョンが足らなかろう。もう少し頑張ってみる。

 

・生きていくときの真実の言葉をたくさん私にくれてありがとう。読書によって先人の事を得ることもでき、それは東洋・西洋の偉人の御蔭であるが、直接父の人生経験から教えてもらったこと言葉の方が多くそれは生きる力を生きる知恵になっている。本願寺でのお参りと境内散策は示唆されること多かった。

 

・父の愛した本願寺へ信仰心の薄い私もお参りをして父の気持ちになって寺院の中や境内を歩けば父が喜んでいるかもしれない。血を分けたこの体だから何かを感ずるものがあるのかもしれない。手を合わせて心の中で父の名を呼んだ時、父も驚いたように呼応して私の名を呼んだ気がした。感興の時とはこの事か。

 

・自分の人間としての至らなさが父母を失って月日がたつほどくっきりと絵を描いてきた。どれほど多くに人に幸せを与えたのか自分と比較すると、人体持っていても中身は粒以下の小ささだ。自分の周囲で今起きていることもそれをそのまま反映しているのであろうか。自省の念が心を突き抜けていくそうだ。

 

・私は非常に恵まれた環境で育った。どれほど感謝して父や母にしきれない。なのに全く恩返しを出来ずに父も母も亡くなってしまった。この空虚感や喪失感、悔悟の気持ちは全く晴れることがない。自分という人間がいかにくだらない人間なのかの証左だ。父や母は子も含めて人を幸せにす偉大なる力があった。

 

・私は父の死の事を自分の好きな作家と如何しても較べてしまう。例えば、漱石の時はどうであったか。見守る娘に「もう泣いてもいいんだよ」と言って亡くなっていった。学友で親友であった中村が床に来た時にあったときに思い出したことは何であったか。私は父のそばにいてあげられなかった。母の時も。

中川総合法務オフィスの最新情報をどうぞ