今の私の幸不幸の淵源が郷里にあって‥‥2021年春3月に記す

■今の私の幸不幸の淵源が郷里にあって、そこでの一つ一つの出来事が今の私の所在を家庭性や社会性も含めて決定的であることは間違いなかろう。ありありと過去の事実が甦ってくる。そこから運命の糸が今の私に伸びて繋がっていることは間違いなかろう。そのいくつかは、このサイトに書いたが。

■私の幸せも不幸せもその淵源の多くは郷里にあろう。それを詳らかにしてもいいが誰も聞きたいものは全くいないであろう。私のnkoshin.rima21.com キャッチコピーにある通り、所詮はモノローグなのだ。兼好の日記みたいなものだ。しかし、根源的な幸不幸の所在がそこであることは間違いない。

■東京に20過ぎの時に単身で学問に打ち込んでいた時に、木造のきしむ音の大きい練馬区近くのアパートに住んでいた。隣の六畳間は高齢の夫婦であった。しかし仲は睦まじく質素に暮らしておられた。武蔵野の大きな邸宅街が近くにあったがいずれが幸せかは分からない。彼らは傍からは幸せそうであった。

■自分の力で幸せがどこまで実現するかというとそれはその人それぞれで運命が違うから運命にどう対処するかにかかっていると思う。自己の運命という制約条件の中でどこに幸せを見つけるのか、それは人が自分で決着すべきことであろう。政治権力・家庭環境等の力はまさに時代とおかれた個々の境遇による。

■幸せは主観的なものであるが、誰もがそうであろうが、私には私の人生での幸せと私が持っていた希望が実現しなかった不幸せがある。自分の幸せが何か、もう一度考え直している。でもそれはどこまでも主観的なものであろう。人にに話すものではないであろう。自分の人生は自分で決着をつけるしかない。

■コロナ時代では、教える能力も実力の世界になっていくだろう。大学や学者の権威で人はその話を有難く聞くであろうか。学ぶ姿勢も多くは変わっていくであろう。個にとって解るかどうかが成長するかどうかが真の問題なのだ。知力が伸びるか、自己の欲求が叶うかどうか、勿論収入が増えるか、伴侶が得られるか等であろう。

■法律・経営等DVD等動画講座(compliance21.com/video-course/)でDVD講座を発行していたのはそのサイトにも従来から書いていた通り、研修や講演を聞けない方々へのあくまでも「補充的な」手段ツールであった。しかし、これからはそうではないであろう。個が個で学ぶ時代になってきた。時代がどんどん変わる。

■今日もよく働いた。1時間前に仕事が終わって、リラックスして過ごし、もう寝ようか。明日は、好きな分野の研究をやりたい。趣味と実益を兼ねているが。研究に没頭しているときから現実に戻るのが何となくイヤだ。時間に停止がない事が分っていても。よい思い出を思い出すんだと夜中に心で叫んでいる。

■雨の強い夜だ。コロナに加えて災害の備えが必要か、心がざわつく、今年もまた風雨の強い季節に向かっている。西へ東を旅をする仕事をしているので、災害への対応をしておく必要があるが、旅の荷物に専門書を入れざるを得ないのでそれだけでも荷物が膨らみ重いが、災害グッズは不可欠になっている。

■OECD paris 発行の洋書が東京の国立国会図書館にしかなくて、やっと京阪奈の同関西館に取り寄せてもらって、半日かかって解読、一部コピーを著作権法に則ってして来た。ふー。専門性の狭さのなせる業で翻訳はないだろう。貴重だからやむを得ない。OECD先進国クラブの高い知性を憧れ恃むしかないのか。

■オンラインで講演をするのにもう慣れたが、自分の事務所からは、集中力に欠けるので、ボストンバッグ持って市中の静かな場所にわざと『旅』をして、そこから中継している。結局、これまで東へ西へと講演の旅を毎週続けていたのが位相変化しただけのことだ。俺は旅し続けるよ。郷里を出てずっと旅人だ。

■毎週末の法務相談は参加希望者が多くて予約なしで参加してもらえず、それでもフルタイムでやっている。相続、痴ほう症、改葬・墓じまいに加えて人生相談も多い。福祉的でかつカウンセリング的な活動の面も強い。でも「慈しみ」を与え続けることが大事で、金銭的な面は度外視して地域貢献と思っている。

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