これまでの人生で一番悲しかったこと…のひとつ【2009-08-09】

【これまでの人生で一番悲しかったこと…のひとつ】

私の人生で今でも繰り返し記憶が甦るこれまでの人生で一番悲しかったこと

(悲しかったことはたくさんあるので、正確にはその一つかもしれない)

は、18歳の夏に、生家に帰ろうとした時に、母に帰ってくるなと言われたことである。

私は、その夏は、事情があって、母方の叔父の家にいた。

旧盆には叔父も帰省して私一人になってしまった。

母の信じられない言葉があまりに悲しくて、18歳の夏は暑さの中で茫然自失の状態で暮らした。

仕方ないので公園と図書館で過ごした。

駅まで行って、安いうどんを食った。

夜は、ラーメンを食った。

 

惨めだった。

 

後日に、(亡き)祖母に聞いたら、京都からたくさんの親せきが来ていたそうである。

大阪や東京からも親せきが来ていたそうで、私に会わせたくなかったのであろう。

みすぼらしい私を。

祖父ばかりか、父も兄も出世して偉くなっていたので。

でも、これはいまも変わらない。

これを書いても、誰も真実を知ろうとはしないであろう。

真の私に家族も関心はない。

 

そんな母は、急死した。

何も、親孝行できなかった。

 

しかし、この帰ってくるなと言った時のことについてと思われる母からの電話をよく覚えている。

東京にいたときに、朝早く、母の夢に私が出てきて、泣いていたらしい。

「可哀そうなことをした」と。

でも話題はすぐにそれてしまった。

私は、今、西へ東に忙しく仕事をしているが、母と同じように、心臓は良くないので、時々非常に苦しくなっていることがあり心不全になるかもしれないと思う。

この、日記もほとんど読む人はいないだろう、実益はないので。

でも、別れの言葉や遺言のような気持ちで書いている。

どうしても、毎日のように、この記憶がよみがえるので。

やはり、人生で一番悲しいことであったのであろう。

求めて得られなかった母の愛があった時のこと。

必ず、小学中学時代は助けてくれたのに。

18歳では、あまりにそれとのコントラストが強すぎて、心の傷が深すぎるからか。

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