眠れない夜半過ぎに聴こえてくる祖父の父の声、私が会っていないその父の先祖の声、じっと耳を澄まして聴こえてくるまで。

漱石の言う「現実生活の圧迫」で、丑三つを過ぎても、まんじりともせず、一人床の中で暗闇を見詰めていた。

ああ、この様に人生が過ぎていくとは微塵も小さい頃には想像していなかった。

幸せは一様であるが、不幸は人様々である。

 

そんな時に、父や母の事から始まって、郷里の事、強いインパクトの祖父母の事、優しかったその曾祖父母の事、さらに中川家を復興した高祖父母の事、そして繋がっていく先祖の声を聞こうと耳を澄ませているうちに夜明けになった。お腹を空かせた鳥の声が聞こえてきた。

 

苦悶と苦痛に苛まされた「現実生活の圧迫」は、午前の時間を過ごすうちに紛れてしまった。片付いてはいないが。複数の解決策を逡巡している。漱石の言う非人情とは。母以前の生とは。

 

ずっと、旅しているこの感覚は何なのか。漂泊の感覚、喪失の感覚、場違いの感覚、異邦人の感覚。

 

明日も歩こうか。私の先祖そしてずっとその遥か彼方に繋がっている命の源の声を、虚空に求めながら。

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