私が生まれて初めて笑った時の記憶‥‥I laughed for the first time in my life

■三島由紀夫は、自分が生まれたときの 産湯盥の記憶があると。

■それでは、私はどうかというと、そのような記憶はベルクソンの記憶の考えによれば、記憶を呼び戻すことができないだけで確かにあるのであろうか。

■愛情の細やかな母であったので、私が生まれて初めて笑った時は、母はまだ22歳できっと同じように大声で笑ってくれたであろう。そして、良い子になるようにように繰り返し話しかけたであろう。

なにか、思い出せそうで思い出せない。でも、そのことを今強く思うことからすれば、小林秀雄が晩年に言っていたように、コートをかけるフックが見当たらないだけなのであろうか。きっと、魂のどこかでは母の愛情がこだましているのであろう。

■深い愛情を感じていても、それに応えることができなかった俺の人生は、まことに罪深いものであろう。天罰があるのかどうか俺にはわからない。でも、心に何か引っかかる後ろめたさがある。それが、俺の悔しさであり情けない心持であろうか。何故これほどまでに裏切り、裏切られないといけないのか。

■全く、京都にいる理由は本当にわからない。かって、俺が書いた詩に、京都の街を年末に歩いた時の「異邦人の心情」を表したように、それは本当に理由がないのだ。高校卒業して、挫折して東京の原宿、高級店パレ・フランスで働いた。栄養失調と貧血でフラフラだった。国立から原宿まで通ったが、血の気が引いて視界がうつろになり電車に巻き込まれそうに何度もなった。



 

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