母の命日に西本願寺に参ってひたすら母の名を呼んだ時に‥‥

・私の母は、10数年前に亡くなった。その日まで働いていた。「母が返事しない」と父から電話があった。妻と妻子を連れてすぐに帰郷した。少し驚いたままの表情の母が横たわっていた。まさかと母も思っていたのであろう。

・私は、大した信仰心はない。般若心経を西本願寺でお経として唱えてきたくらいだ。私はそんなことよりも、母の声が聞きたかった。母と話がしたかった。だから、阿弥陀様の本堂に入って、仏の顔を薄暗がりに見つめながら、母に次のように呼びかけ続けた。

・「聞こえるの。」「恒信が本願寺の阿弥陀様の前に来ています。」「少しここに来ていただけませんか。」「極楽の淵まで私の声が聞こえますか。」「現実生活の圧迫の中で毎日過ごしています。」「仕事等は楽ではありません。」「いずれ私もあの世に行くときは、そちらにどうぞ呼んでください。」「実はそんなに遠い先ではないかも。」

・私には分からない。母に聞こえているのかどうか。篤い仏教の里に生まれてずっとその中で過ごしたが、慣習化した生活そのもののようであった。今も京都の仏教文化、宗教文化の中で過ごしているが、それは生活の中に溶け込んではいない。でも、母の声を聞きたくて、阿弥陀様の前で呼び続けていた。

 

◆本願寺の廊下で写真を撮った。

 

 

 

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