新常態(New Normal)に移行するのか、当たり前の日常( Natural everyday life)に戻るのか。武漢ウイルス(COVID-19)パンデミック蔓延の終息あればの話だが。

どうにも憂鬱な日が続く。巡り合わせが自分の人生の間にあるとは思わなかった。このような伝染病が蔓延するとは思いもしなかった。

自宅での孤独な仕事に疲れたら、自宅のある長岡京市の街を毎日散歩したりしている。

問題は、私の人生の行方も含めて、武漢ウイルス(COVID-19)パンデミック蔓延の終息あれば、新常態(new Normal)に移行するのか、当たり前の日常( Natural everyday life)に戻るのか。

終息時期の問題が大きいのである。時期が遅ければ、それまでに、これまでの当たり前が消えて二度と戻らないかもしれない。私と私の家族生活にも甚大な影響を与えよう。

人と人がウイルスの感染を恐れて離れて過ごさざるを得ない時期がこれからずっとなのか、1年なのか、これまでに接近して生活していたものが新常態では消えざるを得ないのか。

そうなれば、社会全体に大きな変化が発生するし、経済のみならず、文化やスポーツにも大きな影響を与えよう。教育現場で教室にはいって一斉授業ということも非常にやりにくくなろう。

私の研修や講演でも同じことである。会場にたくさんの人が席を詰めて講演を聞くことや研修を受けることもなくなろうか。

相続における相談業務にも大きな影響が出てこよう。書類を見ながら話すには接近せざるを得ないからである。

大きな不安の中で、いずれにしろ、今死ぬわけにはいかない。家族のこと、友人との信義の事、一体どうなるのか。

漱石も修善寺の大患の時に、「今死ぬわけにはいかない」と言ったそうであるが、私も今死ねない。

まず第一にこれまで以上に健康に気を付けることと、new normal  natural everyday life のいずれになるかわからないが、いずれにも対応できるように、講師職であろうと相続業務であろうと、緊急事態宣言が続き、仕事が来ない今のうちに、十分に対応しておく必要がある。

大会社の社員であったわけでもや公務員であったわけでもないのだから、このような選択をした自分に責任を持ってやっていくことが誠意ある生き方ではないか。

中川総合法務オフィスの最新情報をどうぞ