2022年9月19日 / 最終更新日 : 2022年9月19日 koshin 断想 二十余年の後(母の命日の墓参で母を呼べば心に浮かぶ楽しかった思い出の数々) たくさんのことが心に浮かんだ。そのどれもが、私が墓前に来たこと知って母があの「おにぎり」のように、私に与えてくれたような気がした。微笑みながら。やはり、いまだに母は私が心配で見守っていてくれているのだ。ありがとうございます。、お母さん。
2022年4月30日 / 最終更新日 : 2024年2月22日 koshin 想い出 君は覚えているかい、大学の新歓夜祭※で初めて出会った時のことを※河原町通りの広小路校舎で毎年4/29(祝日)に開催 デートは加茂川べりや清水寺等であった。とても楽しかった。会えるのは日曜日だけであったが。下宿では、必須科目以外の勉強はしないで、大学への数学で数学、英文法精講で英語の勉強等を主にやっていた。小西の古文研究法も。
2022年2月11日 / 最終更新日 : 2022年2月11日 koshin 日記 母の日記 【2013-05-21】 私の日記は、自分の事が多く書いてあって、だれも読む価値なぞあまりないであろう。でも、母の日記は、そのまま出版していいような値打ちのある亡くなる前の10年日記である。
2022年1月17日 / 最終更新日 : 2022年1月17日 koshin 日記 京都堀川 西本願寺に父の命日にお参りして。 6年前の今頃は父が永眠しつつある時間だった。私は父の入院先から遠く離れた京都にいた。翌日は仕事で朝早かった。電車の乗り継ぎで何となく胸騒ぎがして病院に朝八過ぎに電話した。誰にも看取られずに発作で亡くなっていた。母のように […]
2022年1月14日 / 最終更新日 : 2022年1月14日 koshin 日記 去っていく日々、去っていく人。そして、父の命日が近づいて、心の浮かんでくる彼是。 母には母の匂いがある。それは強烈な記憶だ、今でも。父には父に匂いの記憶もある。私は、その記憶を持ってあの世に行くのであろうか。その匂いのするところがあの世にあればそこに向かって走っていくのであろう。私の息が切れたときに。
2021年9月19日 / 最終更新日 : 2021年9月19日 koshin 想い出 母が亡くなった日。私は朝早い父の電話で母が返事しないとの知らせを聞いて妻子を連れてすぐ電車に飛び乗った。母は母はと呟きながら。 やむを得ない。母のそばに行くしかない。妻子に、直ぐに準備して、子供の学校、幼稚園にも欠席連絡して、と。荷物をひっくるめて、京都駅に向かった。
2021年9月18日 / 最終更新日 : 2021年9月18日 koshin 日記 母の命日、その日も母は働いていた。 今日は母の命日だ。その亡くなる日も、その前の日も、もっと前から、一生ずっと母は身を粉にして働いてくれた。
2021年8月27日 / 最終更新日 : 2021年8月27日 koshin 随筆 幸せの記憶 幸せの記憶が、過去の幸せの記憶が、もう思い出せない記憶もあるかもしれないけど、幸せの記憶があれば、人は生きていけるのだ。
2021年8月19日 / 最終更新日 : 2021年8月19日 koshin 想い出 過去を遡る事は簡単だけど。甘美な思い出だけでいいのに、またあれか。 過去を遡る事は簡単だな。記憶さえあれば、記憶さえ消えなければ。でも記憶を、よみがえる記憶を人はコントロールできないものなのか。甘美な思い出にだけ浸ることはなかなかできない。直ぐに、記憶がつながって、辛い事、醜い事、後悔することがいつも出てくる。高校生の時の恋人にしたかった、或いは一時的に恋人だった二人の女の子のことはよく思い出す。 一人は