雪解けと山の息吹…命の喜び【2009-08-31】

私は、雪国に生まれた。

しかも、幼少のころは陸の孤島と呼ばれたところで、真冬は道をつなぐのに船以外の交通機関はなかった。

船といっても、笹舟である。

冬は長かった。土は、何カ月も見ることができなかった。

そんな、雪の中で何カ月も過ごした者にとって、春山の斜面の土が見えてきたことの感動は、在の者以外には説明しがたいものである。

冬には、パンパンに凍りついて、その斜面を走りまわることができた山々が、多少の緑を見せ、土を見せ始めた時は、これからやっと春が始まることの感動で胸が熱くなった。

自然の変化の不思議に心がうたれ、また春を迎えることがただ嬉しくて、思いっきり山の斜面を走った。

家に帰ると、温かい炬燵が待っていた。

おばーちゃんもおじいちゃんもいた。

おなかをすかせた私に、黄粉粥を作ってくれた。

家で搗いたお餅があった。

寝るときは、豆炭あんかを抱えて寝た。

何の不安もなかった。

そんな故郷も、15歳で出てしまった。

出てしまったものは出てしまったものなのだ。

なぜ、今ここにこうしているのか。

この喪失感を埋めることはできない。何をもってしても無駄だ。

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