2022年9月19日 / 最終更新日 : 2022年9月19日 koshin 断想 二十余年の後(母の命日の墓参で母を呼べば心に浮かぶ楽しかった思い出の数々) たくさんのことが心に浮かんだ。そのどれもが、私が墓前に来たこと知って母があの「おにぎり」のように、私に与えてくれたような気がした。微笑みながら。やはり、いまだに母は私が心配で見守っていてくれているのだ。ありがとうございます。、お母さん。
2022年2月11日 / 最終更新日 : 2022年2月11日 koshin 日記 母の日記 【2013-05-21】 私の日記は、自分の事が多く書いてあって、だれも読む価値なぞあまりないであろう。でも、母の日記は、そのまま出版していいような値打ちのある亡くなる前の10年日記である。
2022年1月17日 / 最終更新日 : 2022年1月17日 koshin 日記 京都堀川 西本願寺に父の命日にお参りして。 6年前の今頃は父が永眠しつつある時間だった。私は父の入院先から遠く離れた京都にいた。翌日は仕事で朝早かった。電車の乗り継ぎで何となく胸騒ぎがして病院に朝八過ぎに電話した。誰にも看取られずに発作で亡くなっていた。母のように […]
2022年1月14日 / 最終更新日 : 2022年1月14日 koshin 日記 去っていく日々、去っていく人。そして、父の命日が近づいて、心の浮かんでくる彼是。 母には母の匂いがある。それは強烈な記憶だ、今でも。父には父に匂いの記憶もある。私は、その記憶を持ってあの世に行くのであろうか。その匂いのするところがあの世にあればそこに向かって走っていくのであろう。私の息が切れたときに。
2021年1月17日 / 最終更新日 : 2021年1月17日 koshin 日記 これまでの人生で一番悲しかったこと…のひとつ【2009-08-09】 私の人生で今でも繰り返し記憶が甦るこれまでの人生で一番悲しかったこと(悲しかったことはたくさんあるので、正確にはその一つかもしれない)は、18歳の夏に、生家に帰ろうとした時に、母に帰ってくるなと言われたことである。
2021年1月16日 / 最終更新日 : 2021年1月16日 koshin 随筆 父が亡くなってからの事 夢の中でも、父は現在性があるが、母のそれは薄いのは時間の刑が最も多い理由であるが、母とは本当に必要な話が出きていなかったのだ。喪失感が際立って母に感じるのはそれが原因であろうか。