44年前の今日、4月1日、私は見たこともない大学に入るために京都に来た。
44年前の今日、4月1日、私は見たこともない大学に入るために京都に来た。
前日まで町に住んでいる父方の叔母さんの家の引っ越し手伝いに行くように両親に強いられて、やっとの思いで逃げるようにして京都に来た。
特急雷鳥の車窓からバレーの全日本高校選抜合宿の校舎が見えた。
挫折して来た京都はさらに挫折するに十分な魔物であった。
山奥の秘境と言われた郷里から、いきなり放り出されて、あっちこっちの親せきを行き来しつつ、やっとの思いで、京都御所の南側にできた新築のアパートの一番小さい部屋、三条一間に転がり込んだ。
所持金は全くなかった。
その小さな薄い仕切り部屋を借りるのが精いっぱいであった。
高校を出て、東京原宿のパレフランス「雅宝石店」に埼玉の叔父の紹介で働き始めたときのお金はもうすっかり無くなっていた。
すぐに、大学へ行くよりも早く、アルバイトを始めた。
それから、ずっと働いている、それからずっと、生活に追われている、それからずっと。