母の日記 【2013-05-21】
死後も続く母の意思…消えた私の日記と残った亡き母の日記
◆私の亡き母は、若いときから日記を書いていた。
きかっけはよくわからない。生前に聞いたこともなかった。
ただ、母の父、つまり私の祖父がいつも日記を書いていたことは知っていた。祖父は仕事に厳しい人であったから、仕事とその他の日誌といっていいかもしれない。
いずれにしろ、母は日記を書いていた。
私は、幼少のころに母がノートのようなものに、いろいろな出来事を書いているのを知っていた。
母の懐かしくて優しい匂いのするタンスなどにちょっと置いてあって読んだことがある。
その中には、私を育てるに苦労している様子が書いてあって思わず読みながら赤面したこともあった。
「やっと、○○についていうことを聞いてするようになった。分別が少しはついてきた…。」のような趣旨の事が書いてあった。
苦労かけたんだな。
恥じ入るばかりだ。
その母は、亡くなる10年ほどはほとんど欠かさずに日記を書いていた。
心臓の手術をしたときは、ノートに書いていた。
それは、素晴らしい母の心の証であろう。
絶えず、人の幸せを思っていることがしっかりと分る。
また、風物詩としても貴重であろう。
故郷の生活習慣や物価等よくわかるのである。
◆私の母の影響を受けたのかどうか今となっては分からないのであるが、私も中学1年から日記を書いていた。
母にねだったのであろうか。ずいぶんしっかりとした装丁の付いた日記帳を買ってもらった。
それに、かなり赤裸々な悩みも日々のあったことも書いていた。
結婚するまで、日時を置きながらも、日記は続けた。
しかし、ほとんど隠さずに書いた日記である。
結婚するときは、荷物を生家にほとんど送ったこともあり、その日記帳やアルバムを母の自室にしまってもらうことにして、母に渡してしまった。
私の家族と帰省した時には、母専用の部屋の隅に箱に入れて置いてあったのは知っていた。
◆しかし、母が亡くなった時には母の専用の部屋にはそれが見当たらなかった。
母の亡骸は、一階にあって、二階の母専用の部屋には誰も入っていないはずであった。
ところが、未だにないのである。
先日、父の見舞いに行ったときにも家中を探したがなかった。
弟にも心当たりを聞いたが分らないといった。
どうしたのだろう。もうなくなってしまったのか、私の日記やアルバムは。
◆でもいまは、すこし気持ちの動揺が収まっている。
それも母の意思なのかもしれないと思うのだ。
私の日記は、自分の事が多く書いてあって、だれも読む価値なぞあまりないであろう。
でも、母の日記は、そのまま出版していいような値打ちのある亡くなる前の10年日記である。
その母の日記を読むことこそ価値あることであり、私はどれほど深い母の愛の中で生きてきたこと言うことを心より感謝せずにいられなくなるのである。
(かあさん、聞こえますか。今も日記は読ませてもらっています。)
亡くなる前の日まで、献身的に仕事頼まれてして働き、葬儀の時にはあれほど多くの人の涙を誘った母こそは、私だけでなく日本の母である。
(ありがとうございました。おかあさん。)
(少しは聞こえますか。)
◆今は取り壊された母の職場を窓越しに撮って。