新型コロナウイルスの増殖する日々の中で心に移り過ぎていく過去の良し無し事やこれからの事2020/04/18

新型コロナウイルスの蔓延で 講演関係の仕事がほとんどない。 1年前から決まっていたような講演会講師とか研修会の講師とか全てキャンセル。 2月、3月そしてこの4月も 1回も講師としては仕事をしていない。 しかし、 家の支払いとかいろんな諸経費。 全て毎月払ってます。 家族にも渡したり相変わらず それもありますから、結局私が今まで貯金しといたものを切り崩して使ってるように苦しい生活になってきた。 ま、家族にそういう態度にしてるとまずいので一切見せてませんけどね。 今この後ですね仕事がこういう風にしてないってことになってくると大変なことになるのでとりあえずそのオンラインで研修とかですね講演とかそれからオンラインの色んな講座だなぁオンラインで学べるねそういうものをやるというのがひとつ。それからもう一つはオンラインでコンサルティングとか、そういうものを有料相談だな。そういうものを持つというのもですね一つの方法かなと思う。それとあと研修や講演内容の DVD 講座ですね。10個から15個ぐらい作っててまぁ JA のコンプライアンスとか病院の個人情報とかはこれまでも売れてるんだけどまあ投稿の表示それをもうちょっと充実させるということだな。
でもねもう60過ぎてしまったけどはっきり言ってねその小さな稼げるものをいくつかやるってことも大事だけど やっぱりもうあと人生それほど働ける時間ないんで大きな仕事に当たるためにはねやっぱりかなりですねま「虎穴に入らずんば虎子を得ず」ということでですねどっかに入ってくしかないどっかにすね 人生ぶつかっていいくしかないんかな。すぐにはかけようがないけどね。今んところはね。 まそういう風に思ってるんだ。
やはり朝から晩まで新型コロナウイルスで感染症とかですね手を洗いなさいとかそれからマスクしなさいとかそれから人とは2M以上接近したらだめだとかね。家族にも私がウイルスを持っていないとは限らないことだからね家族にもあんまり密接に関わったらダメだなと思っています。毎日そんなことやってるとやっぱ少し精神的にうつ状態っていうか精神的に参るねもう私もちょっと先々週ぐらいちょっと参っちゃったけどね。日本赤十字のサイトとかにまあまああの結構精神的なバランス取らなあかんていうことでまあまあ書いてあるけどねまどっちかと言うとそれは差別とかそういう事にならないようにしようと、 ま不安とか差別ということに対することだけどね。
精神状態を健康に保つということ言うことだな。それともよく歩くということは少しは体操めいたものをラジオ体操めいたものをするとかね。仕事が終わり次第だと思うわこれだけ仕事してないブラブラしてるとねやっぱり人間関係もおかしくなってきた手前だと思うけどねそれもまあ気をつけないと気安いからと甘えてたら痛い目にあうかな。 たぶんね。

研修講師の仕事がどうなるか分からないね。まないと思ってやってた方がいいとも思う、夏までないんじゃないかなとキャンセルしてきたものも延期ということもあるけど宮崎市みたいねどっちかって言うともK県の市町村振興協会みたいにあっさりと1っ本のメールで中止だ後は知らん顔してくるからさ。容赦なくねまあ切り捨ててくるわけだな。よろしくない態度はね。まあそういうことであるとやっぱりですね過去にもあったことの経験からキャンセル続きで仕事が減少した3年前にですね。一度に仕事がなくなってちょっと助けてもらったりしたあの時のこと思い出すけども。あの時からもう1回相続の仕事やろうということで京都の丸善の本屋行ってね今の自分の資格とかで相続で成功してる人のやつを見てね母校の大学にこもって勉強に専念してそしてまぁそっからも始めたわけだけどね。その仕事をやっぱり中心にしてやってくしかないんじゃないかなと思うけどね。
著作権はだめだ全くきちんとした報酬をもらえる仕事にならない。こないだ全く知らない相模原のスナックのママから電話があって有線の著作権料を払わなあかんかどうか教えてっていうことで、コロナウイルスで店閉めてるからということ、それから例のあの作曲家のマザーテレサ関連のも途中でなんかもう終わっちゃったしね。著作権で一番仕事になったのは一番最初の高松の国際ピアノコンクール、大手不動会社の音楽著作権の再利用著作権料、著作権登録、副読本関係などなどそれぐらいだけだよ。あとはもう本当に駄目だね相談だけ。相続の仕事ぐらいだよね。やっぱりちゃんとボリュームがあるから。あとは去年おととしくらいは研修講師でまとまった仕事が結構来始めたんだけどねそれがなくなると 仕事だからやっぱり相続に視点を置かざるを得ないね。 まどっちにしても子供の学費がもうなくなったからねそれだけがちょっと楽だね。みんな大学を出したからね。次はそれぞれ所帯を持つと思うからその時また支援すると思うけどそれまだもうちょっと先の話だと思うからね。 ちょっと私の両親は私が介護を本当はするということも可能性あったんだけど、早くなくなってしまったんでね、介護それもなくなっちゃったな。家族は精神的に弱くなんていうかねもう仕事できないタイプだからお金を残しとかないとだめかなと思って。まとりあえず家は残すつもりだけどあと残り債務を払ってね もうすぐ払えると思うけど。

この鬱陶しい時代閉塞の中で、やっぱりリラックスするためには、 音楽を聴くということとか散歩するということとかそれからやっぱり好きな本を読む時つくるということが大事だよね。 でもやっぱり夏目漱石とかねあのずっと10代の時にスポーツ推薦で現在の筑波大学、東京教育大学とかまあ行く予定になってたんだけど断ってそして親から怒られて勉強させてほしいといったけど兄に金がかかることもあってダメと言われて、慌てていくつか国私立も受けたんだけど手遅れでダメ、家から追い出されて東京へ出て、会社勤めになって朝から掃除して女社長を迎えて、午後からは原宿のパレフランス雅宝石店で宝石を売って働いて、スポーツ心臓が破裂しそうになってボロアパートのあった国鉄の国立駅で何度もしゃがみこんだ そん時にやっぱりあの心の糧みたいなんだったのが夏目漱石の本かなやっぱりね。 特に道草とかね熟読したよねそれからまあもちろんあの草枕とか三四郎とか虞美人草と行人とか門とかねもっと明暗も読んだけどねやっぱ最後は途中で終わったからねちょっとやっぱり展開が読めなかったねそうしがこの後何書こうとしてたからねわからないからね。その点、こころの作品とかはよくわかる人間のエゴイズムって言うのね親友を差し置いてまで女性を自分の手に入れたがるまさに人間醜さが持ってるんだろうな。それをしっかりと描いてるから あのストーリー自体はですね、三角関係みたいな単純な構図なんだけど。描かれている内容が違うよね人の心を正確に深く掘り下げて書いてるからやっぱ他の作品とは違う。
世の中の事、珍しいことひとつもないといえば一つもないんだよね。今回のコロナウイルスでも昔のペストがヨーロッパで流行ってヨーロッパの3分の1が死んじゃったということもまたこの時代に起こったわけでなんで。珍しいわけでもないよねでそれがまあ自分の生活に関係してるから凄いまあ私も私もショックを受けてるけどね。まあその何て言うかね 正義を信じていいのかわからないけどね今の政治はねま昔の昔ふた昔の昔だったら今そんなんやったら田舎に帰って農業でもやるかという風にね考えがかなり変わったかもしれないけどもう私の故郷というものはそういうような場所でなくなってるね。まあこれも自分の私がそうしてそういう風に持ってったから別にいいんだけどね。父が死んだ後、長兄に全部不動産渡しちゃったからね。お金その他もろもろの財産もね動産関係もね。私と弟は現金少しもらってこれ終わったからさ 。まあこれもまあ 正しい解決だったかって言うとそうでもなかったかもしれない。少しは不動産は私も貰っといた方が良かったな気もするわ。それはそれでいいんだけどね。いいわけないよ繰り返し悔やむことだけどさ。次世代のことも信用はできないね。命果てるとしてこの後のことはねまあそれはいいとしてこのままあのこちらの土地で死ぬとはどこか墓を作らなかったらどっかの所に骨を埋める埋めてもらっても、仕事でやった墓じまいのことでよくわかるけど捨てるのと一緒でねちょうど骨埋めてると言うかして出るという共同墓地とか言っているけどその人間の骨はどっかに捨てられるんだもしれんけど俺の骨も。まあ寂しいと言うか寂しいでも父親と母親の骨がしっかりとふるさとの五箇山の先祖の墓の中にあるからね それは救いだな、自分の骨がそういう風な落ち着いたところに入れたら嬉しいけどなかなかそうならないからそれはそれで悲しい。 人生だったかなという風に思うねま、残念な人生だったかなというのも ふるさと出ていいことはひとつもなかったと結局は、 そこをしっかりとやればもっと違う人生になってたんだ、身内同士でやっぱりいがみ合うと言うか引っ張り合うと言うかそれはしょうもないことだけど自分の立ち位置考えてうまく距離とって 郷里から出ればよかったんだよあれは郷里から出た後の生活を過ごせばよかってそれはもう完全に私の失敗だよくわかってんだ失敗したよ。後悔ないわけない。まあそれはそれでも置いといてまぁどっちにしろあのこういう時にですね精神的にはかなりダメージを受けたってことを私も間違いないわちょっと弱くなってるかなという風に思う まあ家族とあまり長時間過ごすのもいいような悪いようだねやっぱり外へ出て過ごすま一人で過ごすそれが大事で、友人とかと励ましあうことも大事と思うけど、大学の時の友達、高校の時の友達、小中学校の本当に友達はそれぞれそれなりに交流はあったけどね後社会人になってからのですね つながり本当に 一緒に仕事してしなくなったらもうそれまでだね。全く縁がないよね。 その点どっかの学校の先生とかやって長く交流が続いてる人はやっぱり羨ましいね。 私はそういうな人生送れなかったかな。 送れない。送れないって言ってるうちにどんどん日が経ってるから。 少しはそういうものを全く赤の他人の社会の人間とつながりを持つということも考えたいところだけどね、難しいかな。

もうこの10年ほどで。 600回から700回は講演研修講師やってね、年に少なくとも50~60回は地方へ行ってるからそういう紀行文みたいなものを少し私のホームページの方でプライベートなエッセイとかのサイト作ってあるからそこに少し書いていこうかなというのは少しは楽しみでもあるし人生振り返るということはこの10年を振り返ってねやってるということで悪いことではないと思う。それより前のですね。大阪の会社におった時のことは、9割まで苦しい嫌な 腹立つ思い出ばかりで1割ぐらい、今の妻と結婚したこととかそれから難関校にたくさん合格させてすごい子の親たちに感謝された、ついでに会社で地位が上がった時とか そういう時一つか二つも本当少ないねあとは全然下らない醜いものだったからこれも失敗と言うか失敗だったけど。まあそういうことでちょっと気持ち切り替えてね。 残りの人生短くしかないかなと思うよね。 漱石は50で亡くなってるけどねもう私も50はとっくに過ぎちゃった 不思議に思うことがある。 こういう風にして生きてていいんかなと。 何もせずに何もできずに、 何もなさずにだ。 それだけの才能しかなかったのかな。 とうとう自分で自分にがっかりだね。でももうあと少し 何かできることがあるかもしれない。 それを考えて生きてる。

中川総合法務オフィスの最新情報をどうぞ