心に響く100の言葉 松本清張の言葉には、彼の実生活を下にした嘘のない重みがある【2013-04-07 】
■PHPアーカイブス 特別保存版 心に響く一○○の言葉 2013年 05月号 より
妻の好きな雑誌なので私も今回はこれを購入して寝る前に読んでいる。少しずつ。
そのなかで、私はやはり松本清張の話に強くひかれた。
自分を磨くこと、それが松本清張の言う「手に職を」ということと私は思う。
自分はこれでいいと思えばそれまでだ。
人に言えば、お前にそれができるはずがないといわれる。言われなくても心で思われてしまってマイナスのエネルギーを受け取るの関の山だ。
だから、清張は下積みしながらとりあえず他のものより秀でた技術を獲得することによって一歩前に出たのだな。
芸術もそれであろうか。良い作品は、本当にその芸術家のものでも一歩出ているのがよい作品である。
一歩出ることによって、本当にずっと数段上に行っているようになる。
技術とはそういうものである。
人生の運命もそうであろう。
ちょっとしたアクセントがあって、大きくなることもあれば縮んでいくこともある。
紙一重だ。
つくづく自分の人生を振り返ってそう思う。
私は、本当に親の援助が欲しかった19の春に母や家族に見捨てられて、泣きながら東京行きの列車に乗って、国立市へ行った。
そして、原宿のパレフランスで働き始めた。(株)ベターライフ社の社員になって誰よりも早く竹下通りの会社に行って掃除をしてお茶を沸かして女社長を待った。
それからずっと心に空虚なものが残っている。
そして人生の大事な転換点がそれから何回もあったがこれを引きずって生きている。
まさか、もっとも信じている人に追い出されるとは思いもしなかった。
何かしたか、悪いことを。
何もないよ。
じゃ、なぜなのか。
それを考えることはつらい事であるが毎日のように今でも問いかける。
独学で大学に行っても結婚しても家を買っても開業しても何もなかった。
それだけの命なのか。
あまりに落差が激しくて、紙一重の何か、その何かで私の15までとそれがこんなに違ってしまった。
幸福な少年期で親の愛がいっぱいで、周囲の人たちの愛がいっぱいで過ごした。
その記憶とそれ以降の記憶の落差が激しいのである。