2022年9月19日 / 最終更新日 : 2022年9月19日 koshin 断想 二十余年の後(母の命日の墓参で母を呼べば心に浮かぶ楽しかった思い出の数々) たくさんのことが心に浮かんだ。そのどれもが、私が墓前に来たこと知って母があの「おにぎり」のように、私に与えてくれたような気がした。微笑みながら。やはり、いまだに母は私が心配で見守っていてくれているのだ。ありがとうございます。、お母さん。
2021年3月13日 / 最終更新日 : 2021年3月13日 koshin 日記 今の私の幸不幸の淵源が郷里にあって‥‥2021年春3月に記す 今の私の幸不幸の淵源が郷里にあって、そこでの一つ一つの出来事が今の私の所在を家庭性や社会性も含めて決定的であることは間違いなかろう。ありありと過去の事実が甦ってくる。そこから運命の糸が今の私に伸びて繋がっていることは間違いなかろう。
2021年3月3日 / 最終更新日 : 2021年3月3日 koshin 断想 眠れない夜半過ぎに聴こえてくる祖父の父の声、私が会っていないその父の先祖の声、じっと耳を澄まして聴こえてくるまで。 漱石の言う「現実生活の圧迫」で、丑三つを過ぎても、まんじりともせず、一人床の中で暗闇を見詰めていた。 ああ、この様に人生が過ぎていくとは微塵も小さい頃には想像していなかった。 幸せは一様であるが、不幸は人様々である。 & […]
2021年1月17日 / 最終更新日 : 2021年1月17日 koshin 日記 これまでの人生で一番悲しかったこと…のひとつ【2009-08-09】 私の人生で今でも繰り返し記憶が甦るこれまでの人生で一番悲しかったこと(悲しかったことはたくさんあるので、正確にはその一つかもしれない)は、18歳の夏に、生家に帰ろうとした時に、母に帰ってくるなと言われたことである。
2021年1月15日 / 最終更新日 : 2021年1月15日 koshin 想い出 郷里の山奥深い谷川へ友達のお兄さんに連れて行ってもらった時(8歳頃)のこと 社会に出ると、明らかに苦しいことの方が楽しいことよりも多いが、私の15までの郷里での生活、とりわけこの時のような幼少期は楽しいことの方が圧倒的に多かった。